atmos x THREE TIDES TATTOO|atmos(アトモス) 公式オンラインストア

atmos x THREE TIDES TATTOO

PUMAの代表するスニーカー PUMA SUEDEをmede in japanで別注。 4年ぶりのThree Tides Tattooとのコラボレーションとなる本作は、日本のハロウィンをコンセプトに、アッパーに 「百鬼夜行」を描いた。 トレードマークのフォームストリップにはスモーククリアーを採用し、よりグラフィックが活かされるよう工夫されおり Three Tides Tattooならではの美しいグラフィックに目を惹かれる1足となる。

PUMA SUEDE MIJ T.T.T. ATMOS

381246-01
¥19,800(+tax)

NOVELTY

SUEDE MIJ T.T.T. ATMOSの抽選に応募いただいた方からランダムでTTTビックリマン風シールをプレゼント!!
今回はSECRETあり!!

また、4年ぶりとなるThree Tides Tattooとのコラボレーションとなる本作は、 日本のハロウィンをコンセプトに、百鬼夜行を描いた妖怪シリーズとなっている。
今回、スニーカーの発売に先駆けてTシャツとクルーネックスウェットが先行リリース。 百鬼夜行にも登場する人気妖怪である ”一つ目小僧”と”からかさお化け” を採用。 Tシャツはバックに、クルーネックはフロントにプリントを施している。
キャラクターの存在感を十二分に引き出した“浮世絵の雰囲気が漂うグラフィック”は THREE TIDES TATTOOに在籍する奇才絵師 うきよゑもん氏が描き下ろしている。

PUMA atmos×THREE TIDES TATTOO Tee

921456-01
¥4,900(+tax)

PUMA atmos×THREE TIDES TATTOO Tee

921456-03
¥4,900(+tax)

PUMA atmos×THREE TIDES TATTOO crew neck sweat

921468-01
¥7,900(+tax)

PUMA atmos×THREE TIDES TATTOO crew neck sweat

921468-02
¥7,900(+tax)

about THREE TIDES TATTOO

タトゥーアートや肉筆浮世絵、現代浮世絵を原動力として
日本からグローバルに活動する【混成芸術集団THREE TIDES TATTOO】
http://www.threetidestattoo.com

また、今回のコラボレーションを記念して、atmos千駄ヶ谷店では THREE TIDES TATTOO POPUP STOREの開催が決定!
【日程】 10月24日(土)~11月1日(日)
本コラボレーション商品の他、POPUP STOREでのみ発売される商品も多数。 その他、普段atmosでは取り扱いの無い商品を多数ご用意しています。

THREE TIDES TATTOO POP UP STORE
10/24(SAT)〜11/1(SUN)

atmos SENDAGAYA
03-5843-1017

atmos sendagaya
東京都渋谷区千駄ヶ谷3-16-9
TEL : 03-5843-1017

HISTORY

1960年代に誕生したスウェードを使用したプーマのトレーニングシューズは、Walt Frazierのシグネチャーシューズ 1CLYDEとなり、1980年代に入り、PUMA SUEDEとしてニューヨークを中心としたヒップホップカルチャーや、 1後にローカルバンドやスケートボードなどとリンクを果たし、ストリート&サブカルチャーを好む若者たちの間で爆発的な人気を呼んだ。 1以後、型はほとんど変わらず様々な形でリリースされてきたPUMA SUEDE。

1960-

-1960

PUMA SUEDEの前身のモデルとなるシューズが誕生。アメリカを中心に、アスリートたちのトレーニングシューズとして履かれる。

-1968

メキシコ大会で200メートルの金メダリストとなったトミー・スミスが表彰台でプーマ製シューズを掲げ、黒の革手袋をした右手の拳を上げてブラックパワーサリュートをパフォーマンス。人種差別への抗議を表明し、スポーツシーンに大きなインパクトを残した。

1973-

-1973

当時、ニューヨークで活躍をしていたプロバスケットボール選手、ウォルト・”クライド”・フレイジャーが、シグネチャーモデル PUMA CLYDEをリリース。1979年まで約6年間、少しずつアップデートを重ねながら販売される。このモデルが後にPUMA SUEDEへと繋がってゆく。

-1983

ロックステディ・クルーや、ニューヨーク・シティ・ブレイカーズなど、ニューヨークのブレイクダンサーたちがこぞって出演したドキュメンタリー映画「Wild Style」で、ダンサーやグラフィックライターたちがPUMA SUEDEを着用。個性ある色が人気を呼び、ファットシューレースを使った履き方が話題に。

1984-

-1984

ブレイクダンス、DJ、グラフィティとヒップホップのカルチャーを盛り込んだ映画「BEAT STREET」にて、多くの出演者がPUMA SUEDEを着用。シューズだけでなく、T7トラックジャケットも着用するなど、プーマが前面に押し出された映画となり、若者たちが影響を受ける。

-1980

旧ユーゴスラビアで生産を継続しながら、アジア(台湾)への生産拠点を変更し始める。アジアでの生産分からラスト(木型)の修正が行われ、細身のシルエットが確立された。1990年代に入ると、台湾から中国へと生産拠点が変更される。この時代に作られたPUMA SUEDEが史上最も細い木型を使用したPK0814(日本品番)である。ストリート シューズとして世界的に認知されたモデルで、プーマ = 細身の木型、という印象をエンドユーザーに与えることになった。 アメリカのストリートシーンで人気が出たことをきっかけに、PUMA SUEDEがロンドンへ渡り、ロンドンのアンダーグラウンドで人気を呼んだアシッドジャズのシーンとPUMA SUEDEがリンク。ちなみに英国ではSUEDEではなくSTATESと呼ばれていた。

1992-

-1992

ヒップホップアーティストがケリーグリーンのPUMA SUEDEを着用し話題に。またこの時期、ニューヨークを中心にローカルのバンドシーンでも「プーマ」を履く人々が続出。当時彼らが着用していたのは、1980年代の旧ユーゴスラビア製のデッドストック モデルであった。

-1992 中期

世界的なハイテク スニーカー ブームと併走する形でブランドの持つヘリテイジに再び注目が当たった時代。PUMA SUEDEにも大きな変化があった。各国のセレクトショップで別注や限定カラーも登場し、世界的なPUMA SUEDEの再評価が始まる。